さくせいちゅう タイに行きたくて行きたくて、でもしばらくは頑張って大人しく過ごそうと自分なりに努力しておりました。 しかしあまりに気持ちが高じた結果、ある日こんな仏様のような姿になってしまいました。 慌てた母が、見るも哀れな姿に変貌した私をスーツケースに入れタイはチェンマイ・バンコクに運んでみたところ、表面を硬く覆っていた型が割れようやく元の姿に戻ることが出来たのです。 。。。。。。めでたしめでたし。。。。。。。 、、、、というのは嘘で、、、、まだまだつづく



4月14日(金)西安に到着した日、郵便局で溜まっていた18通のエアーメイルを出してから、公安に行きビザの1ヶ月延長手続きをした。 その後、シルクロードの出発点と言われる安定門(西門)と安遠門(北門)を訪ねる。



カイロからアスワンまでの1000kmを、バスで移動するという少々ハードなツアーに参加しました。中部エジプト(カイロとルクソールの間)のエル・ミニアの街、ベニ・ハッサン岩窟墓、10年だけの王都テル・エル・アマルナの観光をしてきました。 カイロ&ギザ&メイドゥム→ベニ・ハッサン遺跡&テル・エル・アマルナ遺跡→アビドス&デンデラ→ルクソール→アスワン→アブシンベル→カイロ&メンフィス&サッカラ&ダハシュール、と旅行しました。



船でまずエドフへ向かいます。



よーやく足掛け30年ぶりに京都市電に乗れました。 正確には29年とンヶ月ぶりだが。 もっとも詳しくはなります。オリジナルとちがい、車庫で循環してないので、終点には降りないといけません。 あと、旧京都市電のみ、「あらし山」「桃山」「比叡」等々、京都らしい?ベタな愛称がつけられているのは、いかがなものか。…比叡は京都の領土じゃないけどな。 「舞妓」なんてのもあったな(ToT)。こーゆー客寄せパンダ的な発想はいただけない。 「そうだ 京都、行こう。」なんて、当事者にとっては「ああ、そうですか(怒)」としか、言いようのない。陳腐なコピーもあるが、実際、ありがたがるバカがいるから観光が成り立ってるんだろうけれど。たしかに観光に行くとこであって、こりゃ、住むとこじゃないわな。市電のない今の京都なんて…ったく。



 犀牛海  九寨溝は「Y」の字の形をしていて、Yの字の交わった辺りから縦の線を下の方(入口)に向かって、いくつかの湖が点在しています。  この犀牛海は、交点に最も近い位置にある湖(海子)で太陽に照らされた湖面に周囲の山々が美しく映り込んでいたのが、一番印象に残りました。  我々は歩いてそこに着いた時、もう四時過ぎました。観客はほかの観光地よりずいぶんすくなく、これぐらいの人なら、ちょうど観光にいい環境と思いました。  犀牛海の水は他の湖と同じように、色が付いて、とても綺麗でした。  時間が遅かったから、あそこにあまり長く見ませんでした。何枚の写真を撮った後に、すぐ次の所へ行きました。



'93年のGW、所用で行った富山で少し足を延ばして遊んできました。15年も昔の旅行記です。時間のかかる国道41号で高山経由か名神・北陸自動車道で遠廻りするか迷いましたが、時間のかからない高速道路を選択、富山へ・・。2日目は、立山黒部アルペンルートを富山側から大観峰を往復し、宿への帰り道、立山博物館に立ち寄りました。写真はプリントをスキャンしました。 この旅行記は2部構成で、2は「チューリップと井波・瑞泉寺」です。 <工事中>



ネットで台湾の鉄道事情をなにげに見ていたら、日本では1985年に絶滅した旧型客車が、台湾でかろうじて、3区間5往復列車だけ残っていることを知りました。 車両の両端にはデッキがついていて、ドアは手動。最後尾も通路のままふきさらしという客車です。 今回は、この旧型客車列車(鉄用語で、旧客・雑客・客レ)に、できるだけたくさん乗ることと、台湾南西部で保存運転されている蒸気機関車を目的に台湾に飛びました。     当初の計画は以下の通り・・・ 11日 大阪ー那覇  国内線     那覇1155 ー 台北 1230     台北ー花蓮     花蓮ー宜蘭ー花蓮  北廻線に2往復残る平快車の夜の往復 12日 花蓮ー宜蘭ー花蓮  北廻線に2往復残る平快車の午前の往復     花蓮ー台東     台東ー屏東     南廻線に2往復残る平快車     屏東ー新榮もしくは嘉義 13日 嘉義  阿里山森林鉄路で特別運転されているシェイ式蒸気機関車を見る     新榮  郊外の烏樹林で保存運転されているベルギー製蒸気機関車を見る     新榮ー嘉義ー台北 14日 台北ー関空 ところが、初日の最初のフライトから計画が大幅に崩れることに・・・。  



年末年始休暇に少し有休を追加した長期休暇を取って初の海外旅行を決行! 行き先は、一緒に旅することとなる母との相談の結果 お互いに意見が一致したローマへ行くことに。 紙媒体やネットを使って情報収集をし、ほぼ丸1年かけて計画を練りこんだ。w スタートからトラブルに見舞われ、波乱万丈な旅になったけど 貴重な体験も盛りだくさん! 旅の準備から振り返りつつ、母娘初海外となったローマ珍道中を綴ります。



4月13日(木)、いわゆる高級臥舗車と呼ばれる寝台バスで西安に向った。 さてさてこのバス、11時半出発のはずが満席になるまで待ちに待ち、2時間後やっと出発、と思いきや30分後停止。 それから屋根に荷物を積み始めた。それどころか積みきれない荷物を通路にまで積み始める始末、人間も荷物もギュウギュウすし詰め状態になってしまい、15時すぎやっと再出発。 それからトイレタイム、荷物おろし、食事タイム・・・と何度停まってくれたやら。 通路も塞がれている為バスから降りるのも大変で、後ろの席の母親など赤ん坊を窓から手渡しで降ろしていた。 夕食時この赤ん坊、体調を壊したようで我が席のすぐそばでとうとうウンチをしてしまい、こちらはそれを見ながら夕食となってしまう。 ヤレヤレとんだ災難だ。結局西安に着いたのは翌朝4時40分頃、こんな時間に着いてもこちらが困るのだ。 それからタクシーに乗り、ガイドブックに載っていたホテルを探したが見当たらず駅で降り、歩いて宿探しとなってしまう。 思い荷物を背負い3軒回ってみたが、料金が折り合わなかったり外国人はダメだったり・・・結局中国人の案内で1泊138元のホテルに案内してもらう事になった。 寝ていたフロントの女性に起きてもらいチェックイン、やっと部屋に落ち着く事ができた。 (ホテルS賓館の皆様、夜分お騒がせしました。) 熱いシャワーを浴びたかったがお湯が出ないようで、そのままぐっすり11時頃まで 深い眠りにつく。